日本でおきたヨガブーム
ZEN PLACEの歴史を知る上で、今の主力事業がピラティスやヨガである以上、ヨガの歴史について理解しておく必要があります。経済状況や時代背景にも影響を受けながら、変わっていく日本人の価値観の中で、ヨガも3回ほ どブームになったことがありました。
瞑想・生命の救済に軸をおいた、沖正弘氏の「沖ヨガ」
日本で最初に広くヨガが知られたのは、ヨガの指導者であり思想家でもある沖正弘氏(1921-1985年)がきっかけと言えるでしょう。日本のヨガブームの草分け的存在でもある沖氏は、沖ヨガと呼ばれるヨガを体系化しました。一人一人の心の中に平和心を生まなければ真の平和な世界は来ない、政治的・武力的な均衡での平和は真実のものではないという彼の考えがあったようです。
超人的能力で注目された藤本憲幸氏、そしてブームの衰退
1970年代になると、藤本憲幸氏がその能力の高さによってTV番組に登場したことにより、「潜在能力を呼び起こ す効果がある」とヨガが注目されはじめました。当時のヨガは「潜在能力を呼び起こす方法」として注目を集め、筋肉をつけたり柔軟性を高めたりするというイメージはなかったようです。そんなヨガへのイメージが広まった中で、1995年3月に、地下鉄サリン事件がおこりました。猛毒の化学兵器・サリンを使い、死者13人・負傷者5800人以上の被害をもたらす凶悪事件を起こしたオウム真理教が、ヨガ哲学の語彙を使っていたことから、ヨガや瞑想を敬遠する人が増え、ヨガブームは衰退していきました。
アメリカでのヨガ・ピラティスの流行
日本でヨガが再びブームになる少し前の2001~2002年頃、アメリカでは、ヨガ・ピラティスブームがおこっていました。その中心にあったのがビクラムヨガです。創始者であるビクラム・チョードリーは、アメリカでまだヨガがサブカルチャーの1つに過ぎなかった頃、西海岸に教室を立ち上げ、ハリウッドセレブなどの著名人も多く通う大ブームを巻き起こします。2010年頃までに全世界に展開する巨大ビジネスとして大きな成功を収めますが、2013年にセクハラ、レイプ、不当解雇等、複数の民事訴訟を起こされ、2017年11月に裁判所に破産を申し立てています。
2004年、日本でヨガブーム再来
日本では、2004年5月にスタジオ・ヨギーが1号店を開始します。ヨギーは同年9月にはヨガインストラクター養成講座を開設するなどし、日本のヨガマーケット拡大を推し進めた企業の1つであると言えます。さらに、ヨギー1号店と同年2004年の8月に、LAVAがホットヨガスタジオを開始しました。オープンから約2年で50店舗を展開し、ホットヨガブームを牽引しました。2005年にワークアウトワールド・ジャパンが、米ビクラムとライセンス契約を締結し、2006年にビクラムヨガの1号店を銀座に出店します(2008年自己破産)。米国ではハリウッドが発祥だったため、ハリウッド俳優がやるヨガという訴求で注目を集め、広まりました。ビクラムヨガ銀座1号店は内装も豪華で、オープン時は、1日100人の体験者が集まるほど人気がありました。2011年には、スポーツジムを運営するINSPAがホットヨガ専門スタジオ・カルドを開始し、2010年頃から大手スポーツジム(セントラル、ルネサンス、NASなど)が、既存スタジオを改修してホットヨガができる環境を作るなど、ホットヨガ市場への参入が相次ぎ、LAVA、ヨギーが何スタジオか閉店する等、市場が成熟期に入りました。そんなヨガ市場が成長~成熟する中、2006年に私は、ピラティス1号店を中目黒に誕生させました。 では、いよいよここから、ZEN PLACEの話に入っていきます。時を1990年代に戻して、私が今のZEN PLACE を作ることになった、根本にある考えから説明していきたいと思います。